2011年3月20日日曜日

屍鬼(五)




見放された者たちの終焉


新潮文庫 小野不由美著

「屍鬼(五)」


【簡単なあらすじ】

屍鬼たちに敗北したかに思われた尾崎は、桐敷千鶴を巧妙に騙し、村の祭りに誘いだす。
そこで、千鶴は屍鬼の証明と憎悪の対象としての贄とされた。
存在するはずのない、屍鬼という異形の存在が陽の下にさらされることによって、外場村は一気に、屍鬼殲滅の雰囲気に呑まれていった。

しかし、屍鬼を狩るということは、かつての親族や知り合いを狩ることでもあった。
今まさに狩ろうとする存在は、屍鬼なのか、それとも人間なのか。
その狭間で揺れ動く住民たち。
だが、自分たちから大切な仲間を奪っていったのもまた、屍鬼であった。

そして、いよいよ屍鬼狩りが始まった。
日中は屍鬼が動けない。
外場村に潜伏する屍鬼たちが次々と狩られていった。
屍鬼たちは好きで屍鬼となったのではない。
それなのに、あまりにも無慈悲な仕打ちであった。
ある者は必死に逃げ、また、ある者は狩られることを受け入れた。

どうして、砂子は屍鬼の社会をつくろうとしたのか。
あまりにも、実現不可能なのに。

全てが解き明かされる怒涛の最終巻。
最後に待ち受けるのは、屍鬼の終わりなのか、外場村の終わりなのか。


【読書感想】

この第五巻では、屍鬼が外場村に明らかな存在として、知れ渡ることとなります。
屍鬼のボス、砂子は、屍鬼というある意味迷信じみた存在はいるはずがないという人間の思い込みこそ、最大の武器と述べていました。
そのことが、屍鬼をこれだけ増殖させ、外場村を壊滅させた一番の理由でした。
しかし、屍鬼はいるはずのないという思い込みが失われた時、屍鬼は一気に狩る側から狩られる側に反転します。

一巻から四巻までは、屍鬼が人間を狩るシーンがほとんどでした。
屍鬼という、異端の存在となっても彼らは神から見放された者として常に葛藤を続けてきました。
しかし、五巻では、人間が屍鬼を狩ることとなります。
もちろん、人間側にあらすじで述べたような葛藤はあります。
著者は、その葛藤を屍鬼ほど深くは掘り下げていません。
このことが、人間の異常さを際立てています。

確かに屍鬼はおぞましい存在です。
しかし、狩られていく屍鬼の描写を読み取っても、そこに爽快感や懲悪的な心象は受けません。
ただただ、哀れに屍鬼たちを思うだけです。

望んでいないのに、コミュニティから外された者たちの末路、これは現代社会に通ずるものがあるように思えます。
屍鬼という存在が現代社会のどの存在に価するのかを考えてみたのですが、わかりませんでした。
社会に確実に存在することは直感ではわかるのですが、それが誰なのかはわかりませんでした。
それは、あたかも、外場村の住人たちが屍鬼などいるはずないと自分にいい聞かせているかのように。


【良い点】

・楽園から外された者たちの末路とは
・救いの無さ
・人の残虐さ